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「教科書を信じるな」という言葉に集約される、大学が存在する意義―No.24

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 私が人生において模範としており尊敬している知人の研究者がいる。彼女から聞いたこと、そしてそれをもとに私が考えたことをここに共有しておきたい。

なぜ大学は存在するのだろうか。大学とは高等教育という名を借りた研究機関である。間違っても就職予備校ではない。就職活動を支援する機関は大学にあるが、それを批判しているのではない。その機関は学生をサポートできるからだ。しかし、大学の講義が就職のためのものになることだけは絶対に避けるべきである。

大学で教えられるべきことは、教科書に書いてある内容ではない。それをするのは学習塾で十分だ。高等教育の最大の醍醐味は、自分でも学問に携われることである。学問に携わるというのは、研究を行い、それを発表するということである。学会に参加したり、論文を投稿したり、そういった手段を通して主体的に研究にかかわることができる。逆に言えば、研究すらできない大学など大学ではない。学習塾の場合は、教科書に書いてある知識を暗記させることを目的としている。大学は、間違っても教科書に書いてあることだけを教えてはならない。教えたとしても、自分で考え、自分の研究生活に生かすことを目的とするべきである。そのための暗記的事項に関してはしょうがないが、あくまでも研究の主体は自分であり、

大学は、研究者としての基礎を磨くための場所である。全員が研究者になるわけではもちろんない。全員が研究者を目指せと言っているわけでもない。あくまで人生を生きるにあたって、研究者としての基礎を身に着けるという意味である。

暗記には意味がないわけではない。暗記したことを自らの研究に生かせるので意味があるのであり、暗記してそこで終わらせてしまうことには意味がない。中等教育では歴史の年号を暗記させたりするが、それには意味がある。それは一般教養であるからである。

中等教育においては、教科書の内容は絶対である。教科書が「太平洋戦争はあった」と言っているのであれば、太平洋戦争はあったのである。「私は太平洋戦争を信じていません」と言ったところで、そこにはいつの時代にも(基本的には)変わらない事実が書かれている。教科書の内容を疑うことは、原則としてない。例えば太平洋戦争が終わったのは1945年であり、これは誰も否定することのできない事実である。歴史上の事実に関しては政治などが絡み複雑であり、中には嘘もあるかもしれない。ただ教科書に書いてあることは事実である。少なくとも事実として教えられているし、社会でそう共有されている。「私は太平洋戦争なんていうのは捏造だったと思います」なんて誰かが言ったとして、その意見が市民権を得ることはない。万が一太平洋戦争の終戦が1950年であることがその後の研究で証明されたとしたら教科書は書き換えられるが、そういったことは基本的にまれである。

高等教育においては、教科書の内容はあくまでも「全員の学者が最低限納得できる最大公約数」である。一部の学者しか支持していない学説は教科書には書かれない。その最大公約数は絶対的な事実とも限らない。これは「2020年においてはこういうことにしておきましょう」というとりあえずの取り決めであり、学説が覆ればいくらでも教科書の内容など変わりうる。ただ、最大公約数の合意をしてから教科書が書かれ、その間に学説が覆って市民権を得て教科書が書き換えられるが、それにはどうしても時差がある。こういった理由から、教科書に書かれている情報は古いものである。古い情報は、間違っていることや偏っていること、時代遅れであることが容易にあり得る。

ひとつ分かりやすい例を挙げよう。バルビツール酸系の薬は、1920年代から1950年代半ばまで、広く使われていた。鎮静薬、静脈麻酔薬、抗てんかん薬などとして使用されていた、中枢神経系抑制作用を持つ向精神薬である。この時代に私が精神医学を専攻していたなら、「バルビツール酸系の薬を使うことが常識」と教えられていたであろう。そう教科書に書かれていたであろう。ただ、1960年代には、危険性が改良されたベンゾジアゼピン系が登場しバルビツール酸に代わって用いられることとなった。バルビツール酸系の危険性は「耐性の形成が早く、依存性が高い」こと、「離脱症状としてに振戦せん妄を引き起こしやすい」こと、「作用量と致死量が近く、高用量では死に至る」ことである。このため自殺の手段として使われていた。現在でもベンゾジアゼピン系の向精神薬は、よく使われている。現在精神医学を専攻していれば、教科書にはこのように書かれているだろう。ただ、ベンゾジアゼピン系の向精神薬にも欠点がある(依存性と離脱症状についてである)ため、より良い薬剤が作られれば、近く教科書が書き換えられるかもしれない。今ではバルビツール酸系の薬はほとんど、もしくは全く使われないので、こんなことを教える人は皆無である。

高等教育においては教科書に書かれているのは古い情報である。このため教科書を信じてはならない。教科書を信じるなという発言の趣旨は、教科書を盲信するなということであり、教科書の内容が全てうそであると思ってはならない。教科書の内容は事実であるが、「古い事実」であるということである。

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