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ほのかの過去―No.20

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 もう何度書いたかわからない自己紹介を書きます。逆流性食道炎による吐き気を紛らわすために、ガムを噛みながら、そしてこの記事を書いているので、駄文乱文になることは間違いないです。別に自分のために書くものなので、駄文乱文こそがだいご味だと思っているということもあり、このまま書きます。原則このブログに書いている文章に関しては推敲をしていません。

私は2001年に日本に生まれました。父親は身体の病気で障害者手帳1級を取得しています。母親は、本当にいろいろありましたが、今は尊敬しています。父親と同じような病気で幼少期から手術を繰り返しました。手術のためにわざわざ生まれ育った町から東京まで何度も新幹線で往復していたそうです。ちなみに丸一日はかかる距離です。このことに関しては、母親に本当に感謝しています。私の家には父親は居なくて、いわゆる母子家庭ですが、もうひとり同居人がいます。その同居人が私の病気が進行しないように四国の八十八か所を巡礼してくれています(ちなみに私は後述しますがクリスチャンです)。同居人にも頭が上がりません。

ここで病気のことについて簡単に話しておきます。医師は遺伝性を否定しています。つらい病気ではありませんが予後がかなり不安であり、進行すると日常生活を送れなくなる病気なので、遺伝性だと言われたら父親をかなり恨んでいたことでしょう。幸い私はかなり安定しています。また症例が多くはないため(病気自体はそんなにマイナーなものではないはずです)、地元の病院では手術すらできなかったのです。

そんな私は同居人の影響もあり、仏教系の幼稚園に行きます。とにかく周りを駒わせていました。というのは、まず昼寝はしない(みんな寝ているのに私だけ寝ないので、幼稚園の先生がどんな手を尽くしても絶対に寝なかったといわれていますが、手こずったそうです)、こだわりが強い、発想が奇抜なので周囲をひやひやさせる…という感じです。私が親ならかなり困っていたと思います。昼寝以外のことで発達障害といわれています。私はよく覚えていないので、これくらいしか書くことがありません。母親と同居人は旅行が大好きで、私に人生経験を積ませるためという名目(これはかなり役立ちました)で、私を良く旅行に連れて行ってくれました。

小学校に行きました。テストはほとんど満点でした。特に算数が好きでした。相変わらずこだわりが強いのとかんしゃく持ちだったのといろいろなことで周囲を困らせていました。6年生のときに障害(身体の病気のことです)を理由にいじめられましたが、毎日学校に行きました。深い理由はなく、ただ「こどもは学校に行くものだから行く。いじめはつらいけれども、学校で学ぶことは楽しいから行く」という感じです。不登校になるという概念はありませんでした。病弱なので皆勤賞などとは程遠かったです。身体の病気で月に1回は遠くにある大学病院まで行かなければならなかったのですが、診察の日は学校に行くことができないためつらかったです。翌日学校に行くと全てが輝いて見えました。いじめられてはいましたが、私は泣いたことがありませんでした。私が泣いていたのは、筋力がなく病弱なので、よく頭痛や吐き気や腹痛を起こしていて、その痛みで泣いていたのです。痛みには人一倍敏感でした。毎日図書室に通い、伝記や人生論をよく読んでいました。本が大好きでした。

ラクイラでの地震が起きたときは小学1年生でしたが、身体の病気で入院していたため、毎日ニュースを見る私でもそのことについては知らなかったのです。ちなみに私がその病気で入院したのはその時が最後です。ありがたいことに病状は安定しています。

中学生のころが一番充実していたし楽しかったと思っています。なぜなら「研究」ができたからです。私はスマートフォンを持ったのは高校生になってからですが、小学1年生のころからノートパソコンが家にありました。一応親も使ってはいましたが、ほとんど私が自由に使ってよいものでした。そのパソコンで論文を毎日読んでいました。当時、契機は長くなるなどの理由で省きますが、日本語の文法に興味があり、専門書を母に良く買ってもらいました。その論文や専門書を持って、毎日職員室に通い、先生と話をしていました。

小学生のころから漠然と、研究者になりたい、そしてそのために国際的で英語に強い進学校に行きたいと思っていました。その学校は家から徒歩30秒だったということもあり、私はその学校に進学するために毎日9時間の受験勉強をしていました。そんな最中に起きたのがイタリア中部地震です。当時私は中学3年生、受験勉強の真っ只中でした。その報道により強いショックを受け、震災がきっかけで仲良かった家族関係にも支障が生まれ(現在は和解していますが、私の中に少しだけしこりがあるといえばそれも事実です。何があったかなどについては、もう面倒なので省きます)、それまで健康だった私の心が壊れていくことになります。このブログが世界中に公開されているということを踏まえ、いくつか言っておきたいことがあります。それは間違っても誰のせいでもないということ、私のせいでも家族のせいでもイタリア人でもシャルリエブド(※犠牲者を誹謗中傷したフランスの新聞社)のせいでもなく、ただいろいろあったのです。まあ話を聞きたいという人がいれば個人的に話しても良いです。このことを優しい友人たちに話すと「君は当時被災地にいたのか」と聞かれることがありますが、違います。また、震災の報道を聞いたその瞬間にイタリア語を独学することを決めました。被災地に行って、いろいろなことを自分の目で見るために、どうしてもイタリア語というツールが必要だったのです。ただ、受験勉強があったので、正確に勉強を始めるのは合格してからになります。

ここでこの記事を見ている人に知っておいてほしいのですが、その後私は精神科に入院したり数度自殺未遂をしたりします。災害などの痛ましい報道を見ることは、心理学の用語で惨事ストレスと言いますが、そのストレスを引き起こします。それは最悪の場合人の命を奪うこともあるので、くれぐれも痛ましい報道を見る際には注意してください。そして私は惨事ストレスなどという言葉など知らなかったので、高校合格後、暇さえあれば地震に関する記事を読んでいます(毎日2時間はパソコンを使っていました)。ものすごく苦しい作業でしたが、私がそれをしていたのは、惨事ストレスという言葉を知らなかったからです。ただ知りたいから調べるということを繰り返すうちに、だんだんと心が壊れていったのです。気が付いたころには取り返しのつかないことになっていました。私がこのことを書いているのは、誰かを責めたり「私ってか弱くてかわいそうでしょ?」と言いたかったりするのではもちろんなく、ただ単に、この惨事ストレスというものを知ってほしいという思いからです。

最初、その報道に繰り返し暴露されたことによる影響は、不定愁訴という形で現れました。もともと弱かった自律神経を壊し、立ちくらみや倦怠感などがあり、高校でも苦労しました。親が無理やり私を追い出すので学校には通っていましたが、私はこのことを誰にも相談しておらず、ひたすら自分を責めていました。なんで人が死んでいて人が苦しんでいるのに私は何もできないのだろう。私はなんて無力なんだ。私が死んでいればこんなことにはならず、この苦痛も終わっただろうし、彼らは生きることができた。私が死ねばよかった。そんな考えが無限ループしていました。そんなとき家庭の事情による引っ越しで大阪に来ました。2度目の高校に進学したころには、不眠症状(入眠困難が主です)と抑うつ状態がこれに拍車をかけます。このころは毎日死ぬことしか考えられませんでした。死にたいという思いを、もはや自分の力では止めることができなかったのです。さすがに家族もおかしいと思ったのか、精神科に通院することを決めました。結局出席日数が足りなくて留年します。ただ留年だけは嫌だったので、ここで定時制高校に転校します。定時制高校に行ったところで何も変わるわけはなく、むしろ過呼吸発作が加わり、ここも2か月で留年が決まります。定時制高校は家から遠かったので、電車に乗るとすぐ過呼吸を起こして倒れる、学校に着いても発作が起きて倒れる、その繰り返しでした。そのため通信制高校であるN高等学校に転校し、ここで卒業し高校卒業資格を得ました。

人生経験として定時制や通信制の高校に通えたのはとても素晴らしい経験でした。私にとってあの進学校こそ全て、将来は研究者になるために国公立に行くんだ、と思っていました。そんな脆い「常識」を壊したのは全日制ではない高校で出会ったいろいろな人の存在であったり、何より私がもう習得していたイタリア語という力でした。イタリア語ができることによりイタリアに友人ができ、次第に彼らといろいろなこと(精神疾患のことも含めてです)を話すうちに、その「常識」は崩れていきました。友人たちと話していくうちに、助けを求められるようになりました。彼らが苦しんでいるのに私だけ助けられてはいけない、私は幸せにはなってはいけない。そんな呪縛から私を解放してくれたのは友人たちです。

調べていく過程で、私はラクイラという街で2009年に地震があったことを知ります。その街は2016年の震災の被災地とそう離れてはいないということと、総合大学があることを知った私はその日にラクイラ大学への進学を決めます。この進学を遅らせたくないという理由で、留年して原級留置になることだけは嫌だったのです。私は高校3年生の2月に日本の大学も受験することを決め、結果として大阪にある私立大学に特待生として合格することになります(国公立大学に行くだけの勉強をする暇があったらイタリアの大学のほうに力を振りたかったので、日本の大学のための勉強は過去問を解いたくらいしかしていません)。そして私が精神疾患で苦しんでいるこの経験を活かしたいという思いから、心理学部への進学を決めます。

こんな長文をネット上に公開するくらい暇だった私とその駄文乱文にお付き合いいただきありがとうございました。

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