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「いつも笑顔」「笑顔の絶えない人」という言葉の不気味さと違和感

blue body water psicologia - 心理学
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「いつも笑顔でいる人と結婚したい」「笑顔の絶えない家庭を作りたい」という言葉を聞くたびに、言葉にならない不気味さを覚える。そして、違和感を覚える。

笑顔でいることを否定したいのではない。それ自体は別に悪いことでも、つまらないことでもない。

自分の感情を押し殺して、みんなの前で笑っている人は、ほんとうはつらいこと苦しいことがたくさんあったはずで、それを隠しているのだ。「そうしたほうが得だから」という損得勘定によって行われていることもあれば、「そうしなさい」という社会の圧力に抗えなかった場合もあれば、いろいろなケースが考えられる。

しかし、それは自分の感情に嘘をつく行為で、欺瞞的だ。

泣きたいときに自分の感情を押し殺して無理して笑っているのは、自分に対する虐待であるとさえ思う。そうして自分の心をいじめた先に行きつくのは、精神的な不健康だ。逆に言えば、泣きたいのに泣けなくなったときは、なんらかのストレッサーの下に置かれており、ある程度の、もしくは相当なストレスを感じているといえるだろう。

生きたいように生きればいいという価値観がもっと共有されてほしい。

ただでさえ苦しくて大変な人生に余計な負荷をかけないでほしい。人生はただでさえ複雑なのに、余計に難しくしてどうする。こんな難しいパズルは誰にも解けないのに、私達はそれを解くことを生まれたときから強制されている。そしてそれを解けないとギブアップしてしまうことは、社会的に許されたことではない。

そして、「笑っていなさい」と無言の圧力をかける社会にNOと言いたいのだ。

とくに若い人に対し、「笑っていないと幸せになんてなれないのよ」というような、自分の感情を目の前の相手や社会に合わせ、自分という個性を無にするような教育をすることにも疑問を覚える。仕事で疲れているときにパートナーが笑って待っていてくれたらそれは確かに嬉しいことかもしれない。しかし、彼/彼女にはその人自身の自由があり、不貞腐れた様子で待っていたって、怒っていたって、何の問題もないのだ。むしろ、相手の感情をコントロールしようとする自分自身に問題があるのではないか。相手がご機嫌じゃないと自分まで機嫌が悪くなるくらい脆弱な精神を持っていても、それは相手ではなく自分に問題があるのだ。

笑いたくなければ、笑わなくてもいい。それが涙や怒りでも同じことであるように。「無理して泣いていろ」ということがおかしいのと同様に、無理して笑っているのも同じくらい、いやそれ以上におかしいものなのだと、私は思ってやまない。

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