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「いつも笑顔でいる」のは自己欺瞞である – 自分の色を失った彼らへのメッセージ

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landscape photograph of body of water 未分類
Photo by Kellie Churchman on Pexels.com
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私は趣味として他人の自己紹介を読むのが好きだ。自分で自分をどういう人間かと判断し、位置づけているのか、自己紹介にはすべて書いてある。明るい性格なのか、暗い性格なのか。癖がある人なのか、それともより一般的な人なのか。そういったことが全て書いてある場所が、自己紹介なのだ。

その自己紹介欄で、このようなことを書いているひとをよく目にする。

「私は些細なことでもよく笑う性格です。そのため、私の傍にいる人(友人や恋人)には、いつも笑顔でいてほしいです。人生にはいろいろな困難がありますが、傍にいる人と笑っていれば、きっと乗り越えられると思うのです」と。

しかし、人生を15年も生きていればわかるように、そんなに簡単にすべての課題をごみ箱に入れることはできない。「あなたに私の悩みをすべて話して分かち合って、そうすれば悩みはごみ箱に捨てられて私はよりミニマリストになれる」と、彼らは言う。しかし、そんな都合の良い友人関係、つまり「悩みのごみ箱」は存在しないのだ。

たとえば私にすごく嫌なことが降りかかったときに、隣にひたすら透き通るような笑顔を浮かべた人間がいたら、間違いなく殴り倒したい衝動に駆られる。なぜなら、「なんで私がこんなにつらいのに、あなたは呑気に笑っているのか。私の苦しみを分かっているのか」と、問い詰めたくなるからだ。もちろん、そういうことではないのはわかっている。少なくとも私にとって大切なのは、ただ機械仕掛けの人工的な笑顔を浮かべていることよりも、はっきりとアドバイスをくれ、一緒に悲しみの海に溺れて泣いてくれる人だ。無理やり彼らの意志を犠牲にすることで得られた「偽りの平安、平穏、凪」などではない。人生とは波があるものだ。それなら、その波でサーフィンをしてしまえばいい。無理して波を止めることなどしなくていいのだ。なぜなら、人生は海であり、湖ではないからだ。

いつも笑顔でいるということは、不可能だ。そんなことは生きていればすぐに分かる。試験で失敗したり、失恋したり、職場で理不尽に怒られたり、そういった嫌なことは生きていれば必ず起きる。もっと酷いことが起きるかもしれない。たとえば、愛するひとを突然失ったり、生活基盤を失ったりすることだ。そういったときに「あなたは泣いていてはいけない、さあ、笑いなさい」と言ってしまうことは、最も残酷なことであると強く思う。

つまり、いつも笑顔でいるということは、自分を偽って生きるということだ。偽りの人生は空白だ。だから、その空白を埋めるために、相手にも空白の痛みを味わってほしいと願う。だから、そのコミュニティは空白の痛みに耐えるために、心を機械仕掛けにする。結局、彼らが求めているものも同じなのだ。「痛みを分かち合いたい」。そのために、相手にも機械仕掛けの心をインストールさせる。そういう卑怯さに私は耐えられない。そういう自己欺瞞こそ、私が最も嫌うもののひとつだ。自分を偽った先に未来はない。生きづらさが余計に増えるだけだ。

アドラー心理学では「自由とは、他者から嫌われること」だという。私はアドラー心理学のことをあまり好きではないが、この議論は本質をついていると考えられる。自由でいることのためにまずは、自分を自分で縛らないことが必要だ。自分を縛ると、当然、痛い。この痛みこそ人生なのだ。しかしこの痛み(他者から嫌われること)があってこそ、自由を手にできる。偽りの笑顔とは、誰にでも好かれようとする意志の表れだ。彼らが恐れているのは、水面の凪が壊れてしまい、再び波風立つ厳しい自然が訪れることだ。彼らが恐れているのは、誰かから嫌われることだ。だから、少なくとも嫌われないようにと、自由(つまり、自分の感情に素直になり、自己欺瞞をしないこと)を失ってまで偽りの笑顔を浮かべる。しかし、その関係は所詮「誰でもいい」関係にほかならない。

「あなたがただ隣で笑っていてくれれば私はそれでいい。」その条件を受け入れる人間はそれなりの数いる。そのため、いわゆる亭主関白や家父長制のように、いつでも笑顔でいる関係を望む。前に述べているように、それは偽りの関係であり、そこに愛はない。なぜなら、他者を尊重せず、自分の意のままに他者を操ろうとしていることだからだ。しかし、自分のために遅くまで起き、自分より早く起き、ひたすら自己犠牲でパートナーに尽くすことだけを求めているのだ。

分かりやすい例で言えば、いつも笑顔でいてくれと願う人間は、相手に直立不動の姿勢を求めているようなものだ。それは不可能であるということは(本人が見て見ぬふりをしている場合を含め)誰だって知っている。しかし、その姿勢のほうが美しいから、それを見ていれば私は幸せだからと、相手のことなど全く考えず自分のことだけを考えている。「介護施設で働いている私は、高齢者のサービス利用者の皆さんがいつも笑っていてくれればいいんです」なんて控えめに言うが、その欲求がいかに実現不可能で尊大な欲求であることがわかる、

「いつも笑顔でいる」ことは決して長所ではない。それは自己犠牲と自己欺瞞の上に立っている虚像だからだ。

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