置かれた場所を変えることの重要さ
YouTubeで動画投稿をしていても、ライブ配信を見てくれる人がさほど多くなかった私に、魅力的なオファーがありました。ライブ配信用のアプリで公式のライバーとして配信をしてみないかというものです。事実、プラットフォームを変えるだけで、数百人に私のライブ配信を見てもらうことができました。私は特別な知識を手に入れたわけではなく、ただプラットフォームを変えただけなのです。YouTubeはライブ配信用のアプリではなく、高度に編集された動画を閲覧する場所なのです。そしてライブ配信用のアプリでは、特別な編集技術は必要なく、その代わりにコミュニケーション力を必要とします。私が持っているものがライブ配信用のアプリに適しているならば、そちらを選択するのが賢明なのです。
当たり前のことのように感じますが、多くのYouTubeで挫折する動画投稿者は、YouTubeというプラットフォームに過剰に固執しているのです。もちろん、それが彼らに適している場合もありますが、そうでない場合もあるのです。私はYouTubeを否定したいわけではありません。YouTubeは逆に、丁寧に編集されていて、短い時間で要点を伝えられる動画適しているのです。適切な場所を選ぶことにより、生存し繫栄するのは、生物としての本能です。
海外留学の意義
なぜ人は海外留学をするのでしょうか。その答えのひとつは、母国をよく理解するためともいえます。海外という視点から母国を見ることで、母国が彼らにとって住み良い場所かを複眼的に判断することができるのです。私もイタリアで学んだことにより、日本の良いところや悪いところを、いろいろな視点から再発見することができたのです。そして、「日本に住むか、イタリアに住むか」という問いの答えはまだ出ていませんが、少なくとも日本という場所に固執することなく、「イタリア」という新しい選択肢を得ることができたのです。選択肢があるけれども現状維持することと、選択肢がないから仕方なく現状維持することでは、大きな違いがあります。そして、日本が自分に適さないと判断した場合には、私には日本を出てイタリアで生きるという選択肢があります。
選択肢を増やすことで生存できる
タンポポの綿毛が空に舞うときに、なぜ全部一気に動いても良いのに1つずつ動くのか、もう聡明なあなたならお分かりですね。選択肢を増やすことにより、生存できる個体の数を増やすためです。仮に100個の「未来のタンポポ」が同じ場所に着地したら、100個が開花するか100個が枯れるかのどちらかです。しかし、1つずつ分散することにより、誰かは生存できるという確率を飛躍的に上げることができるのです。
私は「ヨーロッパで働き生活する」という夢があります。その理由はイタリアにおいて被災地支援をする非営利団体を運営するためなのですが、そのためにはたくさんの選択肢があったほうが良いです。そのため、私はイタリアの大学に通うほかに、プログラミングを勉強し、翻訳の仕事で実績を積み、さらにドイツ語とスペイン語と中国語を勉強することにより、少しでもヨーロッパで仕事を得る可能性を増やしているのです。
もちろん、「ピアノに優れた才能があるから、ヨーロッパでピアニストとして生きていく」などと、選択肢をひとつに絞った人生設計もできるでしょう。残念ながら、私はピアノがほとんど弾けませんが。しかし、例えば腕を切断する事故に巻き込まれてしまったら、ピアニストとしてのキャリアは途絶え、ヨーロッパでの生活を続行することが難しくなるかもしれません。そのような事態を防ぐためには、選択肢は多ければ多いほど良いのです。
才能や情熱を活かせる場所に行く
たとえばピアノが上手なのに、事務の仕事をしていてはせっかくの才能がもったいないですよね。もちろん、ピアノが好きで上手だということだけでピアニストになれる人はごくわずかですが、「本当に好きなら、なんらかの形でそれを実践できる」時代になったのです。たとえば、YouTubeでピアノについての動画を投稿するか、ピアノ講師になることもできるでしょう。音楽学校で働くことも、音楽史を研究することもできるでしょう。たとえそれがメインの仕事になることがなかったとしても、才能や情熱を無駄にしてしまうのはもったいないことですし、何よりあなた自身が望んでいることではないでしょう。「本当に好きなら、実際に行動に移すべきだ」と私は強く思います。宝くじに当選する人は必ず、宝くじを買っているのです。動画投稿の結果としてピアニストになれる可能性はあります。少なくとも、事務の仕事をしているだけでは絶対にピアニストになれません。コンクールに参加するなどの他の方法もありますが、成功する人は必ず行動に移していて、自分の才能や情熱を大切にしているのです。
さいごに
こころの声に従うこともとても大切です。「これをしてみたい」と思ったら、そのことをやってみて、もしそれがうまくいかなくても、「私にはこれは合っていない」と気づけることも大きなメリットです。
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