ようこそ! / Benvenuti!

This blog is written by a blogger and YouTuber, a university student currently living in Kyoto and Rome, about studying abroad in Italy and other thoughts and feelings.
京都とローマの二拠点生活をしているブロガー兼YouTuberである大学生が、イタリアでの留学生活やその他感じたことについて書くブログです。
Questo è il blog di una studentessa universitaria, blogger e YouTuber che vive a Kyoto e a Roma, che scrive della sua vita da studentessa in Italia e di altre cose che sente.

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世界に理解しあっている友がいるのだから、天の果てにいても隣にいるようだ

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a person sitting on wooden planks across the lake scenery lingua – 言語 – language
Photo by S Migaj on Pexels.com
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私は8月19日(金曜日)から中国の大学に留学しているのですが、そこで聞いた漢詩(昔の中国で書かれた詩)を引用します。

城闕輔三秦

風煙望五津

與君離別意

同是宦遊人

海内存知己

天涯若比隣

無為在岐路

児女共沾巾

送杜少府之任蜀州

タイトル: 杜少府任に蜀州に之く
作者: 王勃

この詩が伝えたいことを意訳すると、

「私と君は遠く離れてしまった。お互い公務員なのだから、別れは仕方のないことだ。世界の果てに理解しあえる友を持っているのだから、たとえ世界の葉てにいても隣にいるようだ。だから、こどものように泣くのはやめようではないか」というものです。

全文の訳は、以下です。

私のいる長安にある城門は守られていて、風に流れているかすみの彼方に、あなたが(公務員として)赴任する土地へと向かう五つの渡し場が見える。
あなたと離れなければならないその気持ちは、同じ公務員として故郷を離れている私も、あなたと同じものを感じている。
この世界の中に自分のことを理解してくれる人がいれば、たとえ私達が世界の反対側にいるほど離れていても、すぐ隣にいるようなものだ。
だからもうやめよう、この人生の分かれ道にたっている私達が、まるでこどものように、涙でハンカチを濡らすようなことは。

この詩の解釈や詳細な説明は、私の専門外なのでこのブログでは書きません。

COVID-19の流行により、会いたい人に簡単に会えない世の中になってしまいました。私は好きな人がイタリアにいますし、イタリアにたくさんの友達がいますが、国境の壁は2019年よりもたしかに厚くなってしまったのです。以前はもっと簡単に海外旅行ができた時代だったのに、現在は煩雑な手続きを終えないと海外旅行ができないのです。そして、戦争の足音は決して幻聴ではなく、現実のものになってしまいました。私の同僚は、戦時下の生活を余儀なくされています。中国でも厳しいCOVID-19の対策により、家から出ることができない生活が続いているようです。

しかし、中国と日本(私が生まれ育った場所)は、古来深い繋がりの中で、互いに交流したくさんのことを学んでいます。一部の視野が狭い愚か者がその関係を壊そうとしていますが、友情はそんなに簡単に壊せるものではありません。中国語はとても興味深い言語ですし(とくにその外国語の翻訳方法に魅了されています)、日本にもたくさんの中国人学生が来ていて、中国にも日本人学生がたくさん勉強しています。地理的に近くにある中国と日本は、わずか1000キロメートル程度しか離れていませんし、その距離は1000年前のものよりもはるかに近くなっているのです。中国の電化製品の技術革新はとても早いスピードで進んでいます。日本のサブカルチャーも年々魅了されるものになっています。お互いから多くのことを学ぶことができる関係なのです。

私は将来、イタリアで生きていくことを望んでいますが、その選択をすると、日本やその他の世界のあちこちに、たくさんの友達や愛する家族を残していくことになります。10000キロメートルの距離と8時間の時差を乗り越えるのは、決して簡単なことではありません。しかし、現在は幸いなことに、WhatsAppもGoogle Meetもある時代です。COVID-19のパンデミックがあと20年早かったら、人々はもっと孤独であったことでしょう。限られた数のSMSと手紙と電話で、ロックダウンを乗り越えなければならないのですから。

「たとえ世界のどこにいようとも、私達はずっと大切な関係でいられる。なぜなら、私達はお互いを理解しあっていて、愛し合っているのだから。」これは、日本と中国の、日本とイタリアの、そして私の愛する家族や友達のことを言っているのだなあと、感動しました。
1000年以上前に書かれたこの詩が、たくさんの言葉に訳されて、世界中のどこかでまだ息をしている、そのことに、文学の普遍的な価値を感じることができるのです。いつかこのブログが、100年先を生きるひとたちにも、読まれていてほしいと願っています。

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