生きているのがしんどいと思うことは、誰でも人生のうちに何度かあると思います。私の場合は、頻度がかなり減りましたが、一時期本当に大変だったことがあります。生きていること、息をしていること、ただそれだけが大変な重労働に思えたあの頃のことを想いながら、記事を書いていきます。
いま、あなたがもし「死にたい、人生を終わりにしたい」と思っているなら、ぜひこの記事を最後まで読んでくれると嬉しいです。何も助けにならなくても、時間稼ぎにはなります。しんどい気持ちは30分で少しだけ楽になる、という私の経験があります。生きることは大変で苦しいことでも、少しだけその苦しさが楽になる瞬間が必ずあるのです。それの目安が、30分というものだと私は思っています。
「死にたい」という気持ちは、「生きているのが苦しい」と翻訳できるでしょう。もし、あなたが抱えている重荷が全て消える機械があるとしたら、あなたはきっとそれを使うでしょう。それが答えです。苦しみから逃れることができれば、あなたの重荷は少しでも軽くなる、しかしあなたはそれができない(自分で自分を縛っていたり、解決不可能なことに思えたり、その他たくさんの理由)。それだから、死ぬことによってすべてが解決すると思ってしまう…。しかし、死にたいと思うことは苦しいことです。そして、それは90パーセント以上の場合において、精神疾患という治りうる病気の影響なのです(出典: 世界保健機関)。
私が今生きているのは、昨日頑張って生きた自分の努力を無駄にしたくないからです。もし私が今日この戦いに負けてしまったら、昨日必死に耐えた私に対して、申し訳ないから、だから私は生きているのです。思い出してください。あなたが「もうこの夜を越えられない」と思った夜を越えているからこそ、あなたが今ここにいるというその事実を。これは奇跡でも偶然でもなく、ただあなたが頑張っているから、誰にも見えない水面下で頑張ってきたから、そういうことなのです。あなたの苦しみを、私はわかりません。誰にも知られることはなくても、必死に耐えてきた日々を、どうか、終わらせないでください。あなたが頑張っていたことを、どうか忘れないでください。「私なんてまだ頑張っていないし、たいしてしんどい部類じゃないから…」そういっても、「死にたい」と思うほどあなたは追い詰められているのですから、あなたが頑張ってきたことに変わりはありません。
高校時代に、「死にたいと思う日々は誰にでもある」ということを英語でスピーチする機会がありましたが、担任の先生はそれを否定し、「私は死にたいと思ったことがない」と言われました。私は、衝撃を受けました。担任の先生は、少なくともそこまで追い詰められたことがないということに。もしくは、死にたいという気持ちを抱えてもそれを隠し通さなければならなかったということに―しかし、おそらく、多くの場合これは前者でしょう―。
私はこの苦しみを誰にも味わってほしくありません。それは到底言葉にできないもので、そして、理解されにくいものであることを、私自身が一番知っているからです。そして、あなたが抱える苦しみが1秒でも早く去ってくれることを、心から願います。
しかし、昨日を頑張って生きたあなたなら、きっとこの暗闇からも抜け出せると、私は固く信じています。あなたの中にある光を、どうか消さないでください。あなたは絶対に、この暗闇から抜け出せる力を持っているのです。精神疾患のあるひとや精神的困難を抱える人は弱いのではなく、それだけ大きなことに耐えてきたということなのです。あなたにまた会えることを、楽しみにしています。
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