この記事を読む前に(用語の解説)
偏差値: 日本の大学の入学試験のレベルを客観視するための指標
SAT: アメリカで大学に入るために必要な試験
世界大学ランキング: 世界各国の優秀な大学を記したランキング
大学に入っている限り、大学のランキングや偏差値、Fランか国公立大学か私立大学かに関係なく、なにかを学ぶことはできる
大学はあくまでも学問を教える場所で、学問に偏差値や世界大学ランキングやSATの結果は関係ありません。まっとうな大学は、学問に真剣に向き合う人を理解し尊重してくれ、逆に学問にあまり真剣ではなく遊んでばかりいる人にはチャンスが与えられない場所です。学びたいという意志のある場所には、必要とされるリソースや知識や応援が得られる場所が大学です。世界大学ランキングで10位以内の大学であろうと世界大学ランキングに入っていない大学であろうと、何らかの形で学問に触れられることには変わりありません。もちろん、ランキングの順位によって学生の質は大きく違いますが、教員の質はそこまで変わりません(なぜなら、少なくとも日本の場合は、教員が働ける場所がとにかく少なくて、給料も国立大学と私立大学で大差ないので、本当に教えたければどんな大学であろうと勤務するからです。なによりも助教か教授かといった役職のほうが給料に影響するので、よりランキングが低くても職位が上がる場合には低いランクの大学に行く可能性のほうが高くなります)。
大学名やランクや偏差値や知名度など、数字だけで大学を選ぶと後悔する理由
そのため、たとえば「ABC大学が有名だから、そこに行きたい」という考えは賢明なものではありません。また、「ABC大学はランキングが高いから、そこに行きたい」という考えもあまり賢明なものではありません。どの大学でも似たようなことは学べるからです。教員の質に大きな差はありません。
また、分野によっては、専門学校に行くか就職するかという選択肢もあり、大学だけが学びの場所ではありません。そのため「とくに決まった理由はないがなんとなく大学に行きたい」という気持ちで大学に入ると、たとえその大学がランキング上位の賢い大学であっても必ず後悔するでしょう。逆に、たとえ大学のランキングが下で偏差値が低くても、そこで学びたいことがあり、あなたが学問に熱意を持ち、真剣に学んでいれば、後悔は減らせるはずです。
さらに、ランキングや偏差値が高いABC大学とランキングや偏差値が低いDEF大学のどちらを選んでも、それらが「大学の学士号を授与する」のであれば、結局得られる資格(学士号)には変わりはなく、ABC大学でもDEF大学でも学士号を得られるのです。
理想的な大学の選びかた
しかし、たとえば「英文学部に入ってアメリカの19世紀の文学を研究したい」という思いがあれば、それにあった大学は必ずあるはずです。そうなってくると、たとえば「地元のDEF大学では英語は学べてもアメリカ文学は学べない。ABC大学ならアメリカ文学を専門にしていて、こういう学会で発表している先生がいる。それなら偏差値が高いけれど、勉強を頑張って、ABC大学に行こう」と決めることが最善です。そうすれば自然にモチベーションが出てきます。もちろん、逆の場合があるのであれば、たとえば「ABC大学ではスペイン語圏の文学しか学べないので、偏差値やランキングが低くても、専門としている教員がいるDEF大学のほうが私には合っている」というより賢明な判断ができるのです。
私の場合―私がラクイラ大学心理学部に進学した理由
私の場合は「震災の被災者の心理的支援の方法を学びたい」という思いがあり、その結果それは日本よりもイタリアのほうが学べるから(詳しいことは省略しますが、私がメインで活動したい場所がイタリアであることが大いに関係しています)ラクイラ大学心理学部を選び、合格し、そこで正規留学しました。学びたいことが先にあり、大学名はあとなのです。鉄則です。
やりたいことが決まらない場合には、進振り制度を活用するか、総合大学に入るのが鉄則
やりたいことが決まらない場合、日本の場合、北海道大学や東京大学のように「文系」という枠で入って3年生になったときに「アメリカの19世紀の文学」を選ぶといった進振り制度のある大学を選ぶのが賢明だと思います。そうでないなら、「XX外国語大学」のような単科大学ではなく、総合大学(いろいろな科目がある大学)を選ぶほうが賢明です。なぜなら、「XX外国語大学から、やっぱり、私は理工学部に行きたい」といったときに大学を変える必要があり、最悪の場合1年生からやり直しになりますが、総合大学であれば専攻を変えることが比較的容易だからです。あなたのお住まいの国に東京大学のyぷな制度があるかどうかは私にはわかりませんが、専攻する範囲が広いものを選んでおくと間違いが少なくなります。たとえば、「19世紀のアメリカ文学を学ぶ学部」を選ぶのではなく、「文学部」に進学するといったことです。より深い専門への勉強(たとえばアメリカの19世紀の文学)といったことを行う最適な場は、大学ではなく大学院です。
Fランは無価値ではないし無意味でもない。ランキングが低いからといってその大学に価値がないわけではない。
私の知り合いの話をします。彼は高校時代体調を崩していたため、共通テスト/センター試験の勉強ができず、結局私文に絞り偏差値が低い大学に進学しました。しかし、彼は資格試験や外国語の勉強を頑張り、就職ではこう言いました: 「私は高校時代よく勉強ができず、偏差値が低いFラン大学に進学したが、これだけ資格試験と外国語試験の勉強を頑張った、熱意のある人間です」。結局彼は第一志望の有名企業への就職を果たし、4年経った現在でも良い仕事をしていると評判です。どんな場所を選んでも、その場所で夢を諦めない限り、人間はどこへでも行けるのです。逆に、どんなに良い場所にいてもそこで夢を追うことをやめてしまったら、夢を叶えることはできません。
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