ようこそ! / Benvenuti!

This blog is written by a blogger and YouTuber, a university student currently living in Kyoto and Rome, about studying abroad in Italy and other thoughts and feelings.
京都とローマの二拠点生活をしているブロガー兼YouTuberである大学生が、イタリアでの留学生活やその他感じたことについて書くブログです。
Questo è il blog di una studentessa universitaria, blogger e YouTuber che vive a Kyoto e a Roma, che scrive della sua vita da studentessa in Italia e di altre cose che sente.

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大学を就職予備校だと勘違いしているあなたに

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この記事は約5分で読めます。
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こんにちは。イタリアの大学に在籍しているブロガーのほのかです。

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大学に通う目的

早速ですが、今日は「大学に通う目的」について考えていこうと思います。以前、ブログの記事にこのように投稿しました。

大学に入る目的は、

学会に参加する。大学生だと学生料金で半額以下で参加できる。(一応書いておくが、宗教のほうではない)

学会誌などに論文を投稿する。論文の書き方を学ぶ。

院生のゼミに(可能であれば)参加する。

研究をする。研究の方法を学ぶ。とくに理系だと、研究室に行かないと設備がそろわない。

たくさんの論文や学会誌や専門書を読む。例えば医中誌Webなどにある論文は、大学のライセンスがないと読むことすらできないので、そのような論文を読む。

そして私は、これができない場所のことをFラン大学と呼ぶのだと書きました。これらを満たせない大学は、高等教育機関を名乗る資格はなく、それなら、資格を取るか短大に行くか専門学校にでも行ったほうがよっぽどましです。実際大卒でしか応募できない就職先も多いですが、こんな紙切れだけの大卒に意味があるとは思えません。それなら「私はアカデミックな学問は学ばず、実践的なことだけを学んできました」ということの証明になる短大や専門学校、もしくは「私はこんなことができます」とアピールするための(できれば国家資格が良いであろう)資格を持っていたほうが良いとは思いませんか?高等教育機関であり研究をする機関と、そうでない実践的なことを教える場所を、同じ「大学」という括りで話すこと自体が間違っているのです。どちらの立場にとってもデメリットしかないと思うのですが…。

私が言いたいのは「大学こそ素晴らしい。短大なんて行く価値がない」と言いたいのではなく、あくまでも通う目的が違うということを強調したいのです。実践的な学びを手に入れたいのなら、大学に行くべきではありません。

就職予備校

ただ、Fラン大学以外にも「大学に通う目的」が満たせない「大学もどき」があるのです。それを就職予備校といいます。

私が日本で半年間通っていたのは紛れもないFラン大学だったのですが、就職予備校は外見が良いので注意が必要なのです。これはその就職予備校に通っていた友人から、Twitterで聞いた話をもとに書いていますので、出典等はありません。ご了承ください。

本来ならば、大学は就職のための場所ではなく、あくまでも学問を学ぶ場所です。大学生が自分から「22卒」「就活中」などと名乗るのは滑稽で笑えてきます。そういうことがやりたいなら、大学外でやればよいのです。そのための学生団体もありますし、学生のうちにインターンを経験するのも手でしょう。ただ、大学はあくまで研究したい学生、学びたい学生を支援すればよく、就職の支援なんて必要ないと思っています。

「実用的な大学」を売りにしていた

彼女が通っていた大学(関東にある偏差値55程度の私立大学)は、とても魅力的に見えました。この大学で4年間学べば、海外での就職もできれば、キャビンアテンダントになることもできれば、日本企業より待遇の良い外資系企業で働くこともでき、いずれにせよ良い場所で高い給料を貰えると、その大学はうたっていました。

ただ、それが示している言葉の意味がわかったのは、入学後でした。

実際に行われている授業は、まるで小学生が英語と親しむために行われているかのような、まったく「学問」を学んでいるように感じさせない、ままごとのような授業。英会話に重点を置いているという宣伝文句の実情はこんなだったのです。レベルも低く、これなら自宅でネイティブキャンプやDMM英会話をやったほうが安上がりで内容も濃いと彼女は諦めましたが、それでも日本の大学は出席しないと単位が取れないので(イタリアの場合はたとえ1度も出席しなくても、試験に合格さえすれば単位が貰えます)、仕方なく授業中に内職(こっそりほかの勉強をすること)していました。ただ、内職がばれると怒られ、授業中に寝ている生徒ややる気のない生徒は怒られないことに、彼女は矛盾を感じたといいます。ただ、授業中に寝るなんて学費を払ってくれる親に申し訳ないと、彼女は真剣に授業を受けました。結果的にGPAはかなり良い状態で卒業できた、それだけが救いだったと語ります。

さらに、英語以外の基礎的な「一般教養」も学ばされました。パソコンの使い方など、当たり前のようなことさえ学ばされました。

この大学で勉強すれば、国家資格である通訳案内士も目指せると聞いていたのですが、英検2級にも満たないような授業では到底不可能と判断し、彼女は独学をすることになりました。知っていることばかりで、しかも参加を促されるため、「私のレベルはこんなもんか」「私はこんな大学に入るために大学受験を頑張ってきたのか」と、屈辱でしかなかったそうです。

挙句の果てには、「卒業論文(卒論)は書かなくても卒業できる」と大学から聞いたのです。卒業論文すら書かないのなら、もはや何のために大学に行ったのかわかりません。もしその卒業論文が優秀だったり、研究の楽しさにそこで気づけたりしたのなら、院進(大学院に進学すること)もできるからです。私は小学生のころから、博士後期課程までは進学すると決めていましたし、家族もそのことに賛成してくれています。そういった家はいいのですが、大学でせっかく研究の楽しさに気づけるかもしれないチャンスを奪われてしまうのは、あまりに可哀想です。

最終的に彼女は、独学で手に入れた英語力を武器に、海外(英語圏)の大学に編入します。国際的な学風をうたう大学に通うくらいなら、自分が国際的な人になってしまったほうが圧倒的に学びが大きいのです。

さいごに

この記事からもわかるように、私は日本の英語教育、大学教育にかなりの不満があります。それなら海外の大学に出てしまい、インターナショナルな学びを手に入れたほうがはるかに有意義です。こちらの記事も良ければご覧ください。

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