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This blog is written by a blogger and YouTuber, a university student currently living in Kyoto and Rome, about studying abroad in Italy and other thoughts and feelings.
京都とローマの二拠点生活をしているブロガー兼YouTuberである大学生が、イタリアでの留学生活やその他感じたことについて書くブログです。
Questo è il blog di una studentessa universitaria, blogger e YouTuber che vive a Kyoto e a Roma, che scrive della sua vita da studentessa in Italia e di altre cose che sente.

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「人を殺したい」と思ったときに読むブログ

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自殺と殺人

こんにちは。私は自殺と殺人は少しのきっかけでそのどちらかに変わるような行為だと思っています。たとえばあなたが学校でいじめられていたとき「この苦しみを終わらせるために死んでしまおう」と考えるか「いじめている悪い奴をこの世から消してしまえば私の苦しみは終わる」と考えるか、それは本当に些細なことにより変わってくるのだと思うのです。そして、どちらも「健全な」選択肢ではありません。ただ自殺の場合は被害者が自分であるため、刑罰を受ける人がいないというだけの違いです。いずれの場合も、かなり精神的に追い込まれていることは事実で、そのような考えを持つ人は精神科医や臨床心理士の助けを得るべきだと思っています。

殺人は社会的に認められる行為ではない

しかし、現在の刑法では、自殺を裁く罪はありませんが、殺人を犯した場合にはほぼ必ず刑罰を与えられます。それは死刑かもしれませんし、終身刑かもしれません。もしくは、一生精神科病院に閉じ込められるかもしれません(日本の刑法39条では、精神障害者が行った刑罰は無罪または減刑されると示していますが、仮に無罪や減刑になった場合でも、精神科領域において強制的に治療が行われ、一生を精神科病院で終える可能性があります)。仮に殺人が刑罰の対象にならなくても、罪悪感を抱えて精神を病んでしまうかもしれませんし、社会的に追放される可能性は高いです。
少なくとも2021年の日本やヨーロッパなどにおいては、殺人が報復の手段として認められていないので、たったこれだけでも殺人をしないほうが良い理由になります。例えば第二次世界大戦中、日本は「神風(自爆テロに似た行為)」を行いましたが、彼らのうちいくらかは戦争上での敵国であったアメリカやアメリカ人のことを呪い、殺してやりたいと思っていたかもしれません。そのような場合、社会的に「アメリカは日本の敵」だと日本人は洗脳されていたので、「私は日本を苦しませているアメリカ人が憎くて仕方ない。アメリカ人を殺して復讐するために一生懸命戦う」と誰かが言っても、それはむしろ称賛されたことかもしれません。しかし、現在では、そのようなことを認める国はごくわずかです。

社会的に認められている方法で人を殺す

私は「殺人をするな」と言いたいのですが、どうせそれは意味を持たないかもしれません。そのため、殺人をする方法を変えることを私はお勧めします。実際に命を奪わなくても、それを社会的に認められる方法で殺人をすればいいのです。たとえば、音楽で苦しいことつらいことを歌っているものは多くあります。そのうちの一部は過激ですが、爽快感があり、聴いていて心地よいものもあります。また、絵画にしてみるというのも良いかもしれません。必ずしもグロテスクなものでなくても、悲しい気持ちにさせる作品はたくさんあります。そのようなものがもし社会から評価されれば、お金も地位も名誉も入ってきます。そうでなくても、あなたはストレスを発散し、かつそれを合法的に処理できるのです。それを小説にしてみても良いかもしれません。小説で主人公が人をどんなに残虐な方法で殺したとしても、それは現実世界で殺人として扱われるわけではありません。むしろ、素晴らしい作品のひとつとなることでしょう。
私はこれに気づき、そうすると「人を殺したい、もしくは自殺したいという感情を持っていること自体は罪ではない」と思えるようになり、少しだけこの呪縛から解放されたのです。どんなに凶悪な思想でも、それを抱いているだけでは刑罰にはなりませんし、思想良心の自由は憲法(日本の憲法の場合は第19条)により守られているのです。

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